2016年12月 8日 (木)

「おまけのたより」休止のお知らせ

タイトルの通り、今日から1ヵ月、当ブログを休止することにしました。

月一アップしていた「風のたより ウエブ版」から「風のたより Blog版」になり、ほぼ毎日アップするようになり「おまけのたより」になってからも毎日アップは続き、トータル15年9ヵ月発信を続けてきました。

最近アクセス数は減少気味だとはいえ、1日400平均はあります。でも、正直、書き手も読み手も疲弊してきたんじゃないかと思っております。ただ実際に止めるとなると、長く続けてきただけに書き手の俺も、読み手の皆さんも淋しく感じることもあろうかとは思います。引き際はキッパリととユー気持ちもありすが、とりあえず1ヵ月ほど休止してみることにします。

その間、一応、自力でのブログ引っ越しを試みてみます。95%アカンやろとは自覚しとります。しかし、奇跡的に5%の方になれば、再続行するつもりです。

超PC音痴の俺がやることです、引っ越し作業中、何かの加減でプツリとEOブログが消えてしまう可能性も大いにあり得ます。てなことで、このお知らせが消えないよう、今日から2週間は触らずにおきます。

EO BLOBの引っ越しが失敗すれば、皆さんからいただいたコメントも含め、来年3月31日には、「おまけのたより」は、この世から消滅することになるます。

そうなれば、あとの選択肢は

① EO Blogサービス終了時及び俺の引っ越し作業ミスがあったときをもって、全ての発信を終了する。

② 「おまけのたより」は消えても、新しいブログを立ち上げ、発信を続ける。(これは自力でできると思うけど、ドーやろ?)

の2つあると思ってます。

そのいずれかになっても、ホームページ・トップページの「BBS」(モー存在してるのすら忘れていた)だけは、まだ生きてるようなので、そちらでお知らせできると思います。もし、気になる方がおられましたら、そちらでチェックできるよう、ブログの右下にある「ハルボン倶楽部へようこそ」をお気に入りにでも入れておいてください。

まぁ、いろんな思いはありますが、そんなこんなは新BlogかBBSの方で述べたいと思います。1ヵ月後くらいにチェックしてみてください。

そんなことで、かなり早いけど、

来年が皆さんにとって、良い年になることを心よりお祈りしております!

2016年12月 7日 (水)

「星の果実園」私設応援団

ジャム工房&カフェ「星の果実園」(洲本市)。一応改装工事は終わったとユー事なので、早速今朝偵察してきた。「星の果実園」勝手応援団長を自認するハルボン倶楽部としては、きっちりチェックしておかねばならない。

駐車スペースが国道沿いにあり、7、8台はゆったり停まれるのがよい。女房は「私でも駐車できるわぁ」と喜んでいた。

建物は2階建て地下室付きだ。1フロアー自体そんなに広くないが、

1F スイーツ・イチゴ売り場とカフェ

2F ジャム工房&体験教室

1B 倉庫

と使い分けが出来るので、スペース的には十分だろう。ドアのガラスにはすでに、星の果実園のデザインロゴが入っていた。壁紙やテーブルなど、のりちゃんらしい素敵なインテリアだが、まだ準備におおわらわ状態なのであえて写真は撮らなかった。きちんと仕上がってプレオープン出来るころ当ブログで紹介しましょう。

まさ君の話では、派手にオープンしてお客さんや近所の人に迷惑かけないよう、ひっそりオープンして徐々にお客さんが増えて行けばよいとの考えだそうな。建物には大きな看板をぶら下げられるようにしているが、今のところ入り口付近に小さな看板あげる程度の予定だそうな。まぁ、それはそれでオーナーのポリシーなのだからいいでしょう。

残念なのは、海も見えないし、緑も無い、お世辞にもロケーションが良いとは言えないことだ。洲本川の北側なので、市街地中心部でもない。つまり人通りがあるところでもない。まぁ、カフェは付け足しのようなもので、ジャム工房を主とした収益を見込んでるとユー事なので、まぁいいか。

俺は美味しいコーヒーが飲めるなら、洲本に行く度、寄ることになると思う。とにもかくにも淡路島に移り住んだ若い人が、自活できるようにしたいと頑張っているのだ。応援しないとね。

がんばれ、星の果実園!

ガンバレ、まさ君&のりちゃん!

2016年12月 6日 (火)

パシュパテさん

女房は9:20発のバスで大阪に行った。いつものように、義妹の家に何泊かするのだろうと思っていたら、今回は日帰りだと言う。今日はHR氏と昼食する約束をしていたのだが、夕方、女房を津名港BTに迎えに行くなら、その時HR氏をピックアップして3人で夕食することにした。

向かったのはネパール料理店「パシュパテ」。俺的には贔屓店なのだが、たいてい俺達以外お客さんがいないのが気になる。大丈夫かいなと思う。潰れて欲しくない店なんだけどなぁ。

HR氏と行くのは三度目だと思うが、駐車場で車椅子を出してるのを見ると、従業員がすぐに出てきて対応してくれるのも嬉しい。

今日は店主パシュパテさん(店名は店主の名前なのだ)がテーブルにきて、いろいろお話した。なかなか達者な日本語だ。

15年前に日本にきて、5年間大阪で働き加古川に一号店をオープンし、今回洲本にオープンさせた店が12号店だって。従業員は全員ネパール人だ。失礼な言い方だが、経済的には世界でも貧しい方の国だろう。日本でしっかり稼いで、自国に貢献出来たらいいね。

出張パーティサービス(5万円~)もしてるそうで、是非ご利用くださいなんてPRも忘れない。

淡路島のこともよく分かっていて

「淡路島の人は新しい店が出来るとわっと押し寄せ、さっと引いていく。傍に「回転寿司店」(多分「濱ずしのことだろう)が出来てお客さんをとられ苦戦しているよ。早くお客さんが引いて、寿司屋さんつぶれないかなぁ・・・・あははは、これ冗談よこの店も、満席の時もあるけど、一人のお客さんもいない時があるよ。苦しいけど、がんばるしかないね」

なんてことも言っていた。

「俺は贔屓にしてるから、がんばってね」

「私は、いつもここにいる訳じゃないけど、あなたは何度も見てるよ」

「あのさぁ、ナンの生地だけ売ってもらえるのかなぁ。ピザ窯あるので、焼きたてをお客さんに食べさせたいのだけど。特にチーズナンをね」

「本当はダメだけど、あなたはよく来てもらってるからOKよ!それにナン生地をピザ生地として使っても、フワフワピザになって美味しいよ」

なんてことで、話が弾んだ。

実はここで夕食するのは初めてなのだが、ディナーメニューとして3人前コース(6000円弱)を勧められたのでそれにしてみた。カレー3種、ナン3種をベースに、スープ、サラダ、タンドリーチキン、ネパール風コロッケのようなもの、チャイ、アイスクリームとでてきて一人2000円は十分満足だ。

ナンはお代わり自由ですと言ってくれるが、お代わりどころか、ナンはたくさん残してしまった。勿論お持ち帰りする。

さらに、常連さんだからサービスと言ってレタス包みと甘いお菓子のようなナンも出してくれた。

俺的にはこの店はつぶれて欲しくないので、皆さんにお薦めしておきます。

お店と言えば、星の果実園のりちゃんから、ジャム工房兼カフェの改装工事がほぼ終わったので、何時見に来てもらってもいいですよと電話があった。オープンまではまだ間があるのだが、明日、洲本でウォーキングすることにして様子を見に行ってこようかな。洲本に寄り場が出来るのは嬉しいね。

2016年12月 5日 (月)

お気の毒様

昨日と同じようなパターンの一日であった。

午後、2人のお客さん、旧友CK氏とWDさんだ。

WDさんの、涙なくしては語れないお話。

神戸から淡路島に帰るバス停で待っていたら、おばあさんに

「このバス、津名港に停まりますかいのぉ?」

と訊ねられたので

「ハイハイ、大丈夫ですよ」

なんてことで関わり合ったのが不運の始まりだったとは、その時は知る由もない。

乗車して隣り合わせに座った。最初の5分間は

「お住まいはどちらですか?」

「安乎です」

「それなら私の家から近いので、車で送りましょう」

なんて友好ムードだった。しかし、その後、そのおばあさんは、津名港到着までずっとしゃべりっぱなし。バスが遅れたこともあって1時間20分、自分のことばかり話し、口を挟むどころではない。そのうちWDさんは、だんだん腹が立ってくるは、頭がくらくらするは、気持ち悪くなるわ、なんとかこの場を逃れたいと思うが、席を移動する適当な理由が見つからない。

早く津名港に到着することだけを願って我慢した。やっと到着した津名港は、日はとっぷりと暮れ、雨もシトシト降っている。おばあさんに「送ってあげる」なんて言ったものの、知らんふりして帰ろうとしたが、両手に荷物を一杯ぶら下げているのを放っては行けない。

「モー、嫌!」

と思いながらも車に乗せて走り出す。2週間前に買い替えた新車で、夜道も雨の日走るのも初めてだ。つまり、ライトを点けるのも、ワイパーを動かすのも初めてだ。緊張しながら走り始める。おばあさんは

「あんたと一緒にバスに乗れてよかったよ。久しぶりに人とゆっくりお話ししたよ。楽しかったよぉ。その上、親切に車で家まで送ってくれるなんてこんなありがたいことはないよ」

とユーものの、WDさんは、おばあさんにイライラムカムカしながら、雨の夜路を慣れぬ新車で緊張しながら走る。なのに、おばあさんが指示する道はどんどん細くなる。イライラムカムカ+緊張は増すばかりだ。そして

「ここでええよ」

と停車したところは、車1台がやっと通れる路地の行き止まりだった。おばあさんは、礼を述べながらも、さっさと暗闇に消えた。さぁ、WDさんは困った。雨降る真っ暗な細い道を、ターンできる少し広い道までバックしなくてはならない。闇と雨で後ろはよく見えない。しかし、このままでじっとしてる訳にも行かない。意を決してバックしはじめたとたん

「ガガガッ」

と嫌な音。何かに乗り上げたようだ。

もうこの後のことは書きたくない。親切は不幸の始まりなのだ。

「わたしな、この話、誰かにしたかってん。ハルボンさん達に話聞いてもらえて少し、気が楽になったわ。こんな話してごめんな」

なんていっていたけど、笑える程度の人の不幸話を聞くのは楽しいのだ。

踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂 お気の毒様!

おばあさんは幸せな日だったね。このおばあさんとWDさんが、二度と顔を合わせませんように!心よりお祈りしております。

2016年12月 4日 (日)

声の嗄れたライオン

今日は予報通りの天候で、午前はお日さまも出て暖かく、昼過ぎ降り出した雨は本降りとなっていった。

我が家としては、午前中にウォーキングと買い物を済ませ、午後はお客さんを待っていたけど、芝生の家IZさんとセレブ・ヨーコさんが別々に来ただけで、おしゃべり喫茶「こてつ」なりました。チョッとドラマチックなウルウル話と健康情報、こんな島の崖っぷちに住んでいても、世の中にある喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ・・・全てある。人生ってこんなもんなんだろう。

お二人が居た時間以外は、ずっと「風に立つライオン」の練習をしていた。練習しすぎて声が嗄れ、高い音域が出なくなった。もともと68歳になったオジイに、この高さの声は出ないよなと思いながらも、歌は気合だと自分を鼓舞していた結果だからそれでいいのだ。この年になって夢中になっている自分が嬉しい。

それにしても「声がかれる」の「かれる」の漢字が「嗄れる」と書くのを今日初めて知った。

俺は勉強大嫌いっ子だったが、漢字は好きな方で、歴史で小野妹子、蘇我入鹿なんて読みを覚えるを結構楽しんでいた。一時期、漢字ナンクロにも嵌っていた。

しかし、この前、コメントにあった蒟蒻(こんにゃく)が読めなかった。う~ぬ、不覚であった。これから冬の冬眠が始まる。時間つぶしに漢字遊びも復活させようかな。

2年前くらいまでは、冬の間になにか大きな工作物をこしらえていたのだが、もうそれもしなくなったものなぁ。体力的に出来ないのではなく、イベント(ほとんど宴会)も縮小方向なので、新しく作るものなど無いのだ。まだ終活まではいかないが、物を増やすのは止めようと考えている。

まだ、ガウディ100年工事は97年残ってるけどなぁ・・・・どんなもんじゃろのぉ。

2016年12月 3日 (土)

歌声喫茶「こてつ」

午後、まずYT氏がやって来た。幸か不幸か、ほんの少し遅れてTSR夫妻が現れた。俺はその時、当然ながら「風に立つライオン」を練習していた。夫妻は、この歌や「さだまさし」さんのことをよく知っていて

「歌え、歌え!」

なんて言われ、メロディも歌詞も3割程度しか頭に入ってないのに本当に歌い出してしまった。さすがに女房は、まだちゃんと覚えとらんでしょうなんてネガティブなことをユーが、構わず歌いはじめる。まったく自分にびっくりだ。何度も間違えながら、何度も止まりながら、分からんとこは飛ばしながら、モーめちゃめちゃだったけど、最後まで歌った。そう、昨日言ったように、下手だからとか、恥ずかしいからんて思わないことにしたのだ。この時間を一緒に楽しめたらええやんである。盛大な拍手だけはいただいた。

久しぶりに地元のユキエちゃんも現れた。

コーヒーと自家製アップケーキを振る舞った後は、YT氏+MEIDO NO MIYAGEで、忘年会の伴奏の練習だ。勿論、お客さんたちは歌うことを強いられた。ユキエちゃんなんか俺より一回半くらい年下なのに、ちゃんと歌ってた。おおっ、選曲はそこそこ当たりのようだ。

ミヨちゃんも現れた。ミヨちゃんは「風に立つライオン」が大好きなんだって。それは、モー歌ったので MEIDO NO MIYAGEとして3曲演奏した。そう、女房も、演奏することを躊躇しなくなっていた。

なんてことで、我が家は歌声喫茶状態になった。それでいいのだ。皆さんが帰った後、ミヨちゃんは残っていた。話したいことがあったのだ。その話が終わったとき、女房がなんと

「オトーさん、《風に立つライオン》を歌ったら。折角ミヨちゃんが好きな歌や言ってくれてるんやから・・・」

なんて言い出す。今までやったら、人前で歌うに達して無いやろ!だったのになぁ。「あそぼっくる」効果やなぁ。

俺は、またしてもボロボロだけど熱唱した。俺が歌うことの何かが伝わればそれでいいのだ。同じ空間で同じ時間を過ごしたこと、相手が望むことをしたこと、それが生きてることを楽しむことに繋がるなら、いくらでも歌いまっせ~、演奏しまっせ~!

歌声喫茶「こてつ」

と思ってください。

その小鉄は、俺達が演奏している間、ずっとTSR夫人の膝で眠っていた。クッションの具合が丁度良かったのかなぁ・・・おおっ、禁句を言ってしまった。

小鉄写真館

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ノートPCを開いて、譜面台替わりし、繰り返し「風に立つライオン」の練習をしていました。聴衆は小鉄だけ。小鉄は、本当は俺の膝で眠りたいのだが、ギターが邪魔して乗れないのだ。俺は動物虐待してるのかもしれない。

2016年12月 2日 (金)

俺達の冥途の土産

佐野運動公園をウォーキング。今朝は仲良く並んで、しゃべりながら歩いた。話題は「あそぼっくる」のことばかり。女房にとっても、とても居心地よい場だったようで、話は尽きない。俺の知らない話もたくさんしてたので、たくさんの人とたくさんお話したのだろう。とても珍しいことだ。

家でも「風に立つライオン」を繰り返し聴き、2人で歌うが、正直歌にならない。口がもとらないとユーか、滑舌が悪い。年なんやなぁ。でも、この歌を覚えたい。勿論楽曲自体気にいったこともあるのだが、次回の「あそぼっくる」で、歌の輪に入りたい気持ちが強いのだろう。

その上女房は、中島みゆきの「糸」とユー曲の楽譜をPCから取り出せと俺に命ずる。俺は記憶ないのだが、やはり「あそぼっくる」で聴いて、ヨシ笛で吹けるようになりたいとユーのだ。寝る前にプリントアウトしとかないと怒り触れる。

正直、女房は、ホテルを予約してまで「あそぼっくる」に行くことに乗り気でなかった。宴会は、海平のご近所宴会で充分だと思っていた。何が、違ったのか、そう音楽があったのだ。それも、参加者が次々と生演奏するのだ。音楽ってこれでいいのだ。上手とか下手とかでなく、音楽でみんなの気持ちが一つになっていくことが大切なのだ。

この体験は、女房の頑なさを一皮剥いたようで、これまでは「MEIDO NO MIYAGE」でも、人前で演奏するのは極力避けようとしていたが、そこに居る人たちと一緒に楽しむ手段として、ヘタでもどんどん演奏すればいいのだと思い始めたようだ。

「そやけど、私、モー直ぐ69歳で古希にリーチやがな。後何年も笛は吹かれへんわなぁ。ハヨー、どこかで演奏せんといかんなぁ」

なんて言い始めた。

さてさて、我「MEIDO NO MIYAGE」が、頼まれもしないのに無理やり押しかけ演奏するようになるかもしれません。各々方、ご注意めされよ。

因みに「MEIDO NO MIYAGE」というユニット名にしたのは、聴く人への冥途の土産ではなく、俺達の楽しい土産として冥途に持ち込みたいとユー意味であります。

死んだら地獄に行くのか天国に行くのか、それとも見知らぬ宇宙をさまようのか分からないけど

「生きてたころは楽しかったなぁ。冥途の土産たくさん持って来てよかったなぁ」

といえますように・・・

2016年12月 1日 (木)

風に立つライオン

「風に立つライオン」

さだまさし作詞・作曲

1988年シングルCDとしてリリースされる。1900年にはNHK紅白歌合戦で歌われてもいる。アフリカで医療活動に当たった実在の医師がモデルで、2013年には、さだ自身で小説化され、2015年には映画化されている。

なんてことなど、ナ~ンも知らず、今週の日曜日、ふらりと遊びに行った滋賀県野洲市の「そぼっくる」の「あそぼっくる」でTAKさんが歌ったのを聴いたのが初めてである。映画も音楽も大好きだったのに、日常の忙しさ(面白さだったかもしれない)にかまけて、いつの間にか完全に遠ざかっていたことを改めて思い知らされた。この曲が世に出て30年近く、俺は全く知らなかったのだ。

今日は、この曲の譜面をネット購入した。サラリと書いてるが、ネットで譜面を買うなんて初めてのことで、240円/曲とはいえ、支払い手続きして、PC画面に譜面が現れ、それをプリントアウトするにはとても苦労したのだ。しかし、ヨー考えたら、自分で印刷して譜面を得るのに240円はチト高い気がするなぁ。若いころは、楽器屋でよくタブ譜を買ったりしたが、あれはしっかりした紙に印刷されていたのでそれなりの価値があったよなぁ。

まぁ、そんなことはドーでもよろしい。3日前から、繰り返しYou Tubeで聴いていたことだし、楽譜・歌詞・コードが手に入ったのだから、何とか弾き語りできるだろうと思ったのは大間違いだった。歌自体が早口言葉のようで、歯抜けオジイは唾を飛ばしながらフンガフンガいうだけで、歌を歌ってる状況とは程遠い。とにかく文字数がやたら多い歌詞で、1小節にオタマジャクシが24匹泳いでいたりするのだ。

なんじゃ、これりゃ!

早くもメゲそうになったオジイだが、楽器とか歌は、こんなん俺には無理やと思っていたことも、いつの間にかでき、出来たら簡単なことになってしまうことはよくある。まぁ、それを願って、俺の当面の課題曲としよう。

忘年会伴奏練習、MEIDO NO MIYAGE練習に、この曲が加わるのか・・・俺は音楽に燃えている。そやけど68歳やからなぁ、直ぐ燃え尽きるかもしれんなぁ。まぁ、エエか!

昨夜は、久しぶりに3人組で夜釣り、MR氏ははちきれんばかりに太った巨大スズキをを上げていた。OYM氏も俺もそこそこの釣果があったのだが、完全に霞んでしまった。そして今朝、当然のようにMR氏は、カルパッチョ用に刻んだ刺身と、香草焼き用の切り身にして届けてくれた。やっぱ、淡路島はええわ。 

2016年11月30日 (水)

どうして涙が・・・

佐野運動公園を歩いていた。穏やかな小春日和。夏とは違い重たそうな海の輝き、紅葉樹と常緑樹の入り混じった山の稜線と空と雲、それらを眺めながら、俺は女房の200m後ろを歩いていた。

なぜか溢れ出した涙が止まらないのだ。女房には見られたくない。でもどうしてこんなに涙が出るのか自分でもよく分からない。多分、複合的な要素が入り混じってのことだろう。

日曜日「あそぼっくる」で最後に聞いたTAKさんの歌「風に立つライオン」が頭の中に残っていた。その時初めて聴いた歌なのだが、曲中、みんなで「アメージンググレイス」をハミングした。初めて会った人ばかりなのに、一緒に揺れて歌っていたあの時間、あの空間・・・俺はなぜこんな心地よい場に居られるのだろう。

帰宅後、メロディラインからして「さだまさし」さんだろうと見当を付け、You Tubeで検索し幾つものバージョンで聴いた。その度に涙した。俺は68歳にもなるのに、何か人の役立つことを一つでもしたことあるのだろうか?自分が恥ずかしくて泣いているのかも知れない。この歌をしっかり覚え、いつの日か海平の仲間の前で歌い、みんなで挿入歌「アメージンググレイス」を唱和ししてみたいなぁ。

月曜日 昨夜出会った人たちのことを思いながら、紅葉の百済寺の境内を歩いた。昨夜の喧騒と翌朝の静寂。生きていればこその幸せだね。

火曜日 後輩2人(下宿・クラブとも同じ)がやって来て、若き日の幸せな時代を語り合っていた。パシリにこき使った後輩達ゆえ、さどかし恨まれてるのだろうと思っていたが

「ナギさん(俺の学生時代のあだ名)がいなくても、勝手に部屋に入ってレコード聴いてても、怒られんかった。居心地よくて、いつもナギさんの部屋に居たと思うわ」

なんて言っていた。俺は自分の部屋に一人でいた記憶がほとんどない。いつも誰かがいた。今の暮らしは学生時代の延長かもしれんなぁ。

人間なんて、20歳であろうが70歳であろうが、本質は変わりないのかもしれない。俺は自他とも認めるアホアホ人間だが、いつも誰かに助けられ支えられて生きてきたのだと、今更ながらに思う。

まぁ、俺自身が老いを感じてるからだろう。後何年生きれるか分からないけど「ありがとう」をたくさん言うようにしよう。

今日の涙は「ありがとう涙」やったんやなぁ。

う~ぬ、たまには俺もしんみりしたことをユーのだ。

こんなこと書き始めるとユーことは、ブログも終わりに近いってことかなぁ。自分で始めたことは、ちゃんと終わらせないとね。まだ、決めた訳じゃないけど、今のところ今年いっぱいで、当ブログは終了しようと考えている。

なんか、湿っぽくなってスマン!

2016年11月29日 (火)

余韻

27日「あそぼっくる」の余韻がまだ続いております。TAKさんのFaceBookから知りえたメンバーのサイトを巡っています。

さてさて、昨夜書ききれなかった続きです。

マスターから

「よかったら、これ差し上げます」

P1000274

と手渡されたのがこれ、コカリナ(オカリナではありませんよ)です。師匠のMIKIさんは演奏会の時いつもこれを首飾りのようにかけて、曲によりヨシ笛と使い分けて演奏しています。MIKIさんが、心より信頼できる「コカリナ作家」の作品だそうです。残念ながら故人です。ただ、このコカリナは練習で使うには問題ないけど、製品として売る完成度に達しなかったということです。そんなことでお店に出さず、友人たちにあげた物だそうだ。そんな謂れのあるものを頂いていいものだろうかと辞退はしたのだが

「笛は置いておくより吹いてもらった方が喜ぶでしょう。僕はまだもってますから・・・」

という言葉に甘えていただいてきた。その場で師匠に、少しだけ運指を教えてもらったが、女房がそう簡単に覚えられるはずがない。すると、TAKさんが今日メールで、ピアノ鍵盤上に運指図を挿入した絵図を送ってくれた。

「ほっとらいん」師匠のように、ヨシ笛&コカリナ&ギター演奏できるようになるのに何年かかるんやろ。デビューが先か寿命が先か、微妙な年だ。でも、小鉄のためにあと20年生きてやろうなんてことも思っているので、ひょっとするかもよ。そやけど、生きとっても指は動かんやろなぁ。女房も俺も・・・・

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Photo

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28日(月) せっかく湖東にいるのだから、教えてもらった湖東三山の一つだけでも訪ねてみようと百済寺(ひゃくさいじ)に行った。予想を遥かに超える立派なお寺さんだった。紅葉は、前日の雨でかなり散ってしまったようだが、それでもとても美しかった。画像はお寺のHPからのパクリです。なんせ、カメラにメモリーカード入れ忘れたもんで、ガラ携で撮っては見たが使い物にならない。でもHPの画像は、俺たちが見た光景とほぼ同じだった。

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こんなに素晴らしいなら他の二山もと頭をよぎったが、小鉄が心配なので帰ることにした。大阪に住んでるときは、よく琵琶湖周辺をドライブした。何度もキャンプした。退職後考えていた最初の移住候補地だった。でもほとんど湖西で、湖東は彦根城に一度行ったことがあるだけだ。琵琶湖大橋を渡り、懐かしの湖西道路を走って名神に入ろうかと思ったが、それも残念した。やっぱ小鉄がねぇ。

ただ、なんの用もないのに大津SAに入って、5分だけ琵琶湖を眺めた。30数年ぶりの琵琶湖だ。琵琶湖もいいね。また「あそぼっくる」に押しかけて、今度は琵琶湖周航の歌とまいりましょう。楽しみを残してきたと思えばいいさ。

小鉄は、何事もなかったようで、いつもの買い物から帰ってきたように俺たちを玄関先で迎えてくれた。小鉄はエライ!

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午後、大学時代の後輩2名やってきて3時間ほどしゃべっていた。後輩といっても、立派な年金生活高齢者だ。今夜淡路島に泊まって、明日2人ゴルフするんだって。暗に俺を誘うが、淡路島に移り住んで1年近く経った時点で、ゴルフ用品はすべて廃棄した。そのとき、ついでに煙草もキッパリ止めた。無収入の52歳おっさんがゴルフなんてしとったら罰当たるもんなぁ。なんてこともあるが、ゴルフより日常生活の方がはるかに楽しかったのだ。畑もしたい、工作もしたい、毎晩釣りに出たい・・・夜が明かるのが待ち遠しいほど、したいことがいっぱいだった。下手なゴルフなどやってる場合ではなかったのだ。

今も島暮らしは楽しい。プラス時々行きたいところ、石垣島と湖東が出来た。そのためにも元気でいたいね。